会員ブログを更新しました|南山城地方の歴史探訪

タイヘイ さん

浄瑠璃寺(九体寺)
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国宝 本堂 国宝 三重塔
はじめに
 大学専門課程の友人たちとの小旅行を兼ねたクラス会で京都西本願寺、京都鉄道博物館を見学、夜は大阪池田の伏尾温泉に宿泊・宴会、翌日は新神戸駅前の竹中大工道具館、北野異人館、南京町での中華レストランでの昼食後、中華街・元町を阪神・淡路大震災の慰霊と復興のモニュメントのある東遊園地まで散歩、灘五郷の酒蔵を見学後にJR芦屋で解散となりました。興味のある方は、これら見学先を検索してそれぞれのサイトをご覧ください。
 私は、更に一泊し奈良近くの木津川に住む知人に会うために、芦屋で解散後に米原行の新快速で京都経由、JR奈良線で宿泊地にしていた宇治に向いました。宇治に着いたときには既に暗くなっており、宇治平等院の拝観時刻を過ぎており見学をあきらめ、翌朝まだ暗い5時45分にホテルを出て門の閉じた平等院入口までを、1時間かけて散歩しました。
 翌日は、宇治発8時31分の奈良行のJR奈良線区間快速で知人が待つ木津に向いました。9時1分木津着の後は、知人の運転する車で、旧奈良監獄・大仏鉄道遺構などの歴史遺産、紅葉の浄瑠璃寺・国宝釈迦如来座像を安置した蟹満寺の南山城の古寺などを案内していただきました。彼のおかげで興味深い数々の歴史遺産・国宝・古寺・その他を見学することができました。知人に案内していただいた全見学先を、撮影した写真と参照資料を元に、私個人のホームページにまとめましたが、暮の忙しい?時に急に”ぱそぼらん”のリレートークへの執筆依頼があり、紙面の都合で、その前半部分を紹介します。
1. 旧奈良監獄
 旧奈良監獄は、明治五大 獄(千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島)の一つとして、1908年(明治41年)7月に建てられました。現代でも美しく重厚なイメージを残すロマネスク様式の赤れんが建築は、随所に当時の先進的な技術や意匠が取り入れられ、赤れんが造りの塀で囲まれる、およそ10万6千㎡の敷地の中央には、「ハビランド・システム」と言われる放射状に伸びた収容棟が配置されています。2017年(平成29年)3月まで、百有余年に亘り刑務所としての機能を果たし、日本最古の刑務所建築としてその全貌を残した旧奈良監獄は、同年2月に、重要文化財に指定されています。
(ご紹介「旧奈良監獄」から抜粋)
 「刑務所は2017年8月から民間の企業グループに運営委託され、2020年のホテル開業に向けて一部解体工事に入っているが、まだゆっくり外周の見学は可能」との知人情報で訪れました。到着したのは朝9時半頃でしたが、知人と私の他は誰もいませんでした。正門は閉じられていましたが、格子越しに立派な赤れんがの庁舎と広い庭園が一望できました。長く続く塀の裏に廻った向こうに若草山を眺めました。
   詳細は以下、特に5本の動画をご覧ください。
参照(タイトル部分をクリックしてください。)
1) ご紹介:旧奈良監獄 旧奈良監獄サイト
2) 動画「重要文化財旧奈良監獄」3’40”
3) 動画「近代監獄の歩み」 4’36”
4) 動画「レンガ建築の意匠」7’19”
5) 動画「監獄としての機能」8’18”
6) 動画「奈良監獄の基礎を知る」6’25”
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正門
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格子越しに庁舎と庭園
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正門前の道路
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知人 向こうに若草山
2. 大仏鉄道遺構

わずか9年の”幻”

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   今から100年以上前、「大仏鉄道」が走っていました。
   大仏鉄道とは、当時の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」の加茂と奈良を結ぶ、わずか9.9kmの路線の受称です。
   明治31年4月の開業後、終着駅の「大仏駅」は東大寺大仏殿の最寄り駅として、大いに賑わいました。
   翌年5月、同社は大仏駅から奈良駅へ路線を延長。奈良駅への乗り入れを果たすと、観光の拠点は、大仏駅から奈良駅へと次第に移っていきました。
   そして 、明治40年8月、加茂駅から木津駅を経て奈良駅へと至る平坦なルートが開通すると、急坂の難所を抱える大仏鉄道は休止となり、同年11月に廃線。わずか9年の歴史に幕を下ろしました。
   大仏鉄道は、営業期間が短く、当時の資料も乏しいことから「幻の大仏鉄道」と呼ばれ、その実態には諸説あります。しかし、路線の跡にほ隧道(ずいどう=川の水や人を通すためのトンネル)や橋台(橋の上部構造の両端を支える基礎)などの遺構が所々に残され、1世紀前の姿を今に伝えています。
   表紙の絵のような色鮮やかな深紅の蒸気機関車 「電光(いなづま)号」などが駆け抜けたという幻の鉄道。当時を思いながら廃線跡をたどれば、周囲の景色も一層美しく見えるかもしれません。
(ご紹介「幻の大仏鉄道遺構めぐりマップ」から抜粋)
 私は、知人の案内で、「赤橋」「梶ヶ谷隧道」と「観音寺橋台」を訪れました。梶ヶ谷隧道で車を降りて隧道をくぐると田が広がっていました。観音寺橋台でも降りた直後に、反対側に敷かれた関西本線(名古屋-亀山-加茂-木津-奈良-JR難波)の木津から加茂に向かう列車が通過しました。
 詳細は以下、特に3本の動画をご覧ください。
参照(タイトル部分をクリックしてください。)
1) ご紹介:幻の大仏鉄道遺構めぐりマップ 奈良市観光振興課/木津川市観光商工課
2) 動画「幻の大仏鉄道」 3’30”
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赤橋
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梶ヶ谷隧道脇の案内
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梶ヶ谷隧道 梶ヶ谷隧道をくぐると
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梶ヶ谷隧道反対側から 観音寺橋台
3. 浄瑠璃寺
 この寺は平安時代後期(藤原期)の日本が生みだした浄土式伽藍がただ一つ完全に残されてきた寺である。即ち西方極楽浄土の阿弥陀如来を西に、東方浄瑠璃浄土の薬師如来を東に、中央には宝池をおいて美しい浄土を現出している。
 しかも西の阿弥陀如来はこれも現在はただ一つになった九体仏である。特別名勝及史跡指定の境内には四件の国宝、八件の重要文化財、数にして二十五のこれら宝物が昔のままで守り通されている。藤原時代の堂塔、仏像、庭園庭界がまとまって存在するこの浄土式伽藍はいつまでもみんなのカて守らなければならない。
浄瑠璃浄土とはすみきった清浄と静寂の世界をいう
境内では特に静かによごさぬよう気をつけよう
(境内の案内:下の二段目右写真から)

当尾
京都府歴史的自然環境保全地域
昭和六十年十一月二十日指定
(京都府木津川市加茂町)
 当尾地域は、奈良の興福寺の別所としで、平安時代後期から線倉時代にかけて、多数の石仏や寺院が造立されるなど、仏教文化の花開いた地域です。ここ浄瑠璃寺もそうした別所のーつとして平安時代後期に創建されたもので、池を挟んで東西に国宝の三重塔と九体阿弥陀堂が建ち、此岸と彼岸、浄土の世界を現しています。中央の苑池には州浜敷きが復元された中島などがあリ、平安時代後期に建立された本堂は、九体阿弥陀堂建築の現存する唯一の遺例です。庭園は特別名称及び史跡に指定され、また、周辺の山々には、優れた植生の自然環境が良く保存されています。
京都府
(境内の案内:下の上段左写真から)
 快晴の浄瑠璃寺は紅葉も進んでいました。紅葉を写真にしようと張り切っていたのに、私のデジカメがあいにくバッテリー不足になるというアクシデントに見舞われてしまいましたが、持参していた iPad のカメラで私に代わり、浄瑠璃寺以降の全見学先で知人が撮影してくださいました。
 この探訪記冒頭の写真も彼が撮影したものですが、素晴らしい写真になりました。
 浄瑠璃寺の他にも南山城には国宝・重要文化財を有する多くの古寺があります。後述の蟹満寺の住職からいただいた「京都 南山城古寺探訪(ここをクリック)」を参照してください。
 浄瑠璃寺から岩船寺(がんせんじ)に至るゆるやかな坂道(当尾石仏の道)は、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」「美しい日本の歴史的風土100選」「新日本歩く道紀行100選」になっており、絶好の散策路です。
 詳細は以下をご覧ください。4) の動画「浄瑠璃寺の紅葉」は masahirakun という方が2014年11月19日に、5) の動画「秋の浄瑠璃寺」は 吉岡あきら という方が2016年11月26日に撮影されたものですが、紅葉が丁度同じようになっていました。
参照(タイトル部分をクリックしてください。)
1) ご紹介:木津川市の神社・仏閣 浄瑠璃寺 木津川市観光ガイド
3) 地図:京都 南山城古寺探訪 京都府観光連盟
4) 動画「浄瑠璃寺の紅葉」 3’23”
5) 動画「秋の浄瑠璃寺」 6’10”
6) 動画「浄瑠璃寺」 3’16”
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「当尾」の説明 紅葉に隠れた本堂
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本堂と宝池 「浄瑠璃寺」の説明
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 宝池(苑池)を背景に
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次回は ヒデ さんにお願いします。

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