会員ブログを更新しました|気になる「小」
ひろぽんさん
教育や児童福祉の分野では「気になる子」というキーワードで発達障害の子の存在にできるだけ早く気付こうと従事者に対して啓発されてきた。でも最近私は「小」のほうが気になる。
小腹って言葉は若いころ(って40年くらい前のことだけど)聞いたことがない。ちょっと腹が減ったと言うより小腹が空いたのほうが、短縮できるので便利に使うのか。自分は使いたくない表現だ。
小顔は八頭身の代わりなのだろうか。頭が小さいという意味でもなさそうだ。いずれにせよ小顔になると標榜して商品を売りたい商魂が透けて見えて、品のない言葉に聞こえてしまう。
小利口は、WEBの引用だが「目先のことは抜け目なくうまくやってのけるが、大局を見通す判断力に欠けている」こと。このところの国会論戦の様が浮かんでくる。国家百年の志をいだく官僚たちが小利口であるわけがないと思いたいのは時代遅れの爺だからか。
小理屈とは「本質に関わらない、つまらない理屈」で屁理屈のほうがまだましなのだそうだ。大臣から適材適所とお墨付きをいただいた高級官僚は、出世には屁理屈さえも不要であり、言い張るだけ、言い通すだけという力技があればよいということを世に示していただいた。教育の将来に大きな影響を残すだろう。
地方自治体は、制度としては大統領制なので、議会与党でも首長に質問することは重要な議員の役割だ。一方、国会は議院内閣制なので、与党と政府は一体であり、与党議員が政府に質問することにどこまで意義があるのか。やはり「小芝居」程度のお粗末さを逃れられない。
松本サリン事件の犯人と疑われた河野義行さんの存在は、世の中には隠れた賢人がいるのだと未熟な私に教えてくれた。
一方、賢そうなことをしゃべっていても、時流に乗っているだけという人は少なくない。「賢い」と「小賢しい(こざかしい)」では天地の違いだ。どこまでその人自身の言葉なのかよくよく見定めていきたいものだ。
半世紀以上生きていると、世の技術は進歩しても、人そのものは何も進歩していないことが身に染みる。人の人生で大切なこともそうそう時代によって変わりはしない。大切なことをぶれずに言い続けることはなんとなく今風ではないのかもしれないが、大賢は愚なるがごとし。本当に賢い人をよく見極めたい。